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実践報告
京都子ども勉強会がこれまで取りくんできた実践報告です。
これは、季刊誌「ひろば」に掲載されたものです。
執筆者:勉強会顧問 澤田稔
1.おっちゃんなんで勉強するの?
2.進路は世界に広がる
3.鍛えられる講師たち
4.父母とつくる勉強会
5.子どもたちの豊かな人間関係をめざして
6.とことんつきあうで
7.LD児のサポートをめざして
1.おっちゃんなんで勉強するの?
分かることが楽しい学習
子どもたちの健やかな成長と基礎学力をつけることを願って、父母と共に運営する勉強会。東寺の南側、庶民的な匂いのする下町から始まって、現在は6行政区、約130名の生徒が学んでいる。もうすぐ17年が過ぎようとしている。
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私塾版の夜間中学
ある年の1月、勉強会に1本の電話があった。勉強会の卒業生のお母さんからであった。お姉さんとその弟が勉強会に来ていた記憶があった。
ご主人が、定時制高校をめざして勉強を始めて1年になること。しかし、英語と数学でなかなか学習が進まないので手助けをしてもらえないかということであった。
電話の話を聞きながら、以前、バザーをした時に野菜をケースごと寄付していただいたお父さんの顔を思い浮かべていた。そして同時に、家庭教師が良いのか、それとも、もうすぐ中3になる子ども達と一緒に勉強するのが良いのか…。
漢字が読めないためにやろうと思っても自分ではなかなか学習を進められない子。理解力や基礎学力はあるのに学習をコツコツできない子。そうした子ども達の顔を思い浮かべていると、是非、クラスに入っていただきたかった。学習への強い動機に支えられた年配の人との共同学習は、きっと子どもたちにとっていい刺激になると考えたからであった。さっそくその旨を理解していただき、クラスの子ども達と相談した。
「今日、電話があってこのクラスに入りたい人がいるんやけど、どう思う?」
「先生、どんな子?」
「ええとな、子どもと違う年。年輩の人や」
「ふーん。その人、入ってきてから何て呼んだらいいかなあ」
「先生よりも年上の人やろ。先生はどう呼ぶんや」
などなどの会話から、子どもたちの受け止め方がはっきりした。少し説明するとすでに入ってくることを前提とした話になっていったからだ。
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「おっちゃん、何でそんなに一生懸命勉強するの?」
授業では、一通り学習してこられて解らないところが解っていて、その単元になると真剣に聞く。聞いて解りにくいところは質問する。そして、熱心に練習される様子を見て…。
「おっちゃん、何でそんなに一生懸命勉強するの?」
「楽しいからやで。今まで自分でやってて全然できひんかったところが分かるようになったら楽しいがな」
「何で勉強はじめようと思ったの?」
「それはな、おっちゃんの趣味をもっともっと楽しむためや」
「おっちゃんの趣味て何や?」
「鉱物採集や」
学ぶことが楽しい。何気なく聞いた質問の回答。これは子どもたちにとって意外だったにちがいない。学校での勉強は、多すぎる内容に追われるようにして進む授業の中で、
「勉強なんておもしろくない」―――
これが大多数の子どもたちの意識だ。親だって勉強はおもしろくないかもしれないけど、という言葉を最初につけるのに。でも、そんなふうに学べることができればいいなあ、と感じたようだ。
当初、緊張していた子どもたちも何回か学んでいく中で、少しだらけ気味になると、
「さあ、おっちゃんもがんばるから、がんばろ」と温かい声援を送られる。
「今日は給料日やったから、みんなにケーキ買ってきたで」
なんて場面では、蜂の巣をつついたような喜びよう。そして夏には、花崗岩質の山に水晶などの鉱物採集に連れて行っていただき、子どもたちにとってもすばらしい1年が過ぎていった。
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おっちゃんからのお手紙
その後、この年輩の塾生からお手紙をいただいた。その勉強の動機から学ぶ点も多いので紹介したい。
私の少年時代は、両親がともに病弱で経済的にたいへん貧しく、私が中学一年生、弟が小学校五年生で新聞配達を始めた。アルバイトのお金は、家計に回さなければならなかった。それでも、勉強の必要性は感じ、中学の1年の終わり頃までは何とかみんなについていけた。ただ、その頃から英語、数学がわからなくなり、他の教科も日を追って学力が落ちていった。
心のうちは、あせりと不安でいっぱいだった。アルバイトをしたお金で参考書を買い、自分なりにがんばってみたものの、少し理解できても学校の勉強はずっと先へ進んでいた。どんどん差は広がっていくばかり。絶望的な状況で劣等感にさいなまれつづけた。
卒業後、西陣織の会社へ入ったが、20年余りで斜陽産業の悲哀をまともに受け、36歳から転職に次ぐ転職。土木作業員、ガソリンスタンドマン、中央市場の配達員等々。それでも給料が安く、親子4人が生活できず、思いついたのがトラックの運転手。しかし、二輪の免許しかなく、38歳になってから普通免許、大型特殊、大型一種と免許を取得したものの、運転の方は自信がなかった。
初めてトラックに乗ったとき、緊張と恐ろしさでおよそ三ヶ月間は、まるで鉛を飲み込んだように胸が重く、食欲はなくやせる思いだった。10~15時間の長時間労働の上に同僚の事故。また、毎日見る交通事故。給料が少々良くても一度大きな事故をすれば台なし。家族のものが心配するなか、2年近くはがんばった。 「芸は身を助ける」というか、私の入会している「地学会」の会員の人から「地方裁判所に欠員がでたので採用試験を受けないか」と声をかけられた。給料は安いが、安定性は抜群。「ようし、挑戦してみよう」と思い勇気を出して受けてみた。なんとか採用された。
仕事は、朝の8時30分から午後5時まで。日曜、祭日は休み。土曜は休みと半日仕事の繰り返し。その上に、休暇はたくさんあるし、今までとはまるで別世界だ。 これは天からさずかった最高の贈り物。「ようしそれならば、今までできなかったことを」と思い、定時制の高校をめざすことに決めた。
しかし、気は募るが、いざ受験となるとまるで自信はなく、だんだんと気力も落ちていった。そんな時、私の子どもたちがお世話になった塔南塾のことを思い出した。でも、42歳。きっと「断られる」と思う一方、「恥ずかしい」のも手伝って、なかなか行動に移せずにいた。やっと、妻に電話をしてもらった。
長い間、使うことのなかった錆びた頭。急に使いだすと、ギィーギィーと音がして熱を持つみたい。そして、私の子どもたちよりもまだ年下の中学生と一緒に勉強する自分がおかしくて、また、少し恥ずかしい思いもした。塾では澤田先生、家へ帰ると娘と息子が私の先生だった。
42歳にもなって勉強にかりたてたのは、何といっても私の趣味による。鉱物採集、トパーズ、アメジスト、アクアマリン等々の宝石の原石を集める。何百種類もの美しく結晶した鉱物を十何年来集めている。 しかし、標本として整理しているものの、ただ集めているというだけ。もう少し深く知りたいと思ってもすぐに学力の壁につき当たる。化学や地理・地学・結晶学等々、中卒、それもろくに勉強もしていない私には、挫折感ばかりが生まれてきた。
でも、やり直すことに決めた。コツコツと集めた標本を家の中に展示して小さな博物館を作ること。そして、近所の子どもたちを集め、自然の美しさ、優しさ、力強さを話してあげることが私の夢。そのためにも「何にも知らんおっさん」ではあまりにも悲しい。それこそ、小さな子どものビンの王冠集めと同じだから……。 (Kさん)
2.進路は世界に広がる
学校だけが生きる場所じゃない
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八幡勉強会の発足 勉強会の多くは、一本の電話から始まる。
「勉強会のことをリーフで知ったのですが・・・・・・」「知人に聞いて電話をしていますが・・・・・・」などの連絡が入ると、人数に関係なくどこにでも出かけて行く。あるとき、そのような説明会が八幡で開かれた。 子どもたちが、もうすぐ中学入学を迎えるころのことだ。同学年数名の父母が集まっておられた。まだ、木の香が残る新しい家だった。
地元の中学の少し荒れている様子が話し合われた。―――①親どうしが横のつながりをしっかり持って子どもの成長を見守ること、②勉強会講師は子どもたちの学力の実態調査(診断テスト)を行い、一人一人の学習課題を明らかにして週二回の授業を進めること、③保育園からの子どもたちのつながりを大切にして、学ぶことが楽しいと感じられるよう努力すること、④月に一度の父母会を定期的にもち、勉強会講師や親どうしの交流を進めること、⑤率直に話し合うなかで共に学んでいくこと。そして最後に事務的な確認をして勉強会が誕生した。
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中3クラスを担当して
八幡勉強会では、中学1年、2年と若い講師が担当した。その後、私がこのクラスを受け持つことになった。 学習面ではとてもがんばる子どもたちだった。私がよく担当する「オイッチニイ、オイッチニイ」と体操のかけ声のような成績の子どもは1人もいなかった。 勉強中どんどん質問してくる子。課題を出すとコツコツ真面目にやってくる子。クラブ活動にがんばる子。本当に楽しい和やかな雰囲気で学習が進められた。 しかし、一歩踏み込んで子どもたちの声を聞いていくと、 「最近、勉強に集中できない。追いかけられている気がする」 「悪い点をとったら恐い。恐いからやっている感じ。でも、何が恐いかはわからない」 各生徒のところでは、学習を進めることがとうてい楽しいという感じではなかった。だからこそ心の通い合う友達どうしの勉強会が1つの救いであったのかもしれない。せめてその場だけでも楽しく学びたいと。
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すさんだ学校に行けなくなった
「学校は堅苦しくて嫌いだ。周りのことを考えない人が多くいる。何を言ってもいいと思っている教師がいる。言葉の暴力のみならず、実際の暴行・・・・・・」 学校のすさんだ状況に疲れ、苦しい日々が続くなかで、とうとうY君が学校にいけなくなってしまった。 勉強会も少し休みがちになったが、かろうじて幼なじみとのつながりは切れなかった。しかし、学ぶ意味に対する深い疑問、とてつもなく疲れた様子が見られた。 ある日、Y君に、 「いつも家の中にいると息苦しくならないか。南区の塔南塾には、昨年高校受験に失敗し、再受験を目指して、毎朝、勉強しにきている生徒がいる。もし、良かったら出ておいで」 と呼びかけた。
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進路は世界に広がる
不登校によって、中学の成績評価が付けられない生徒は、全日制公立高校の受験においてなんら配慮されることなく、事実上排除されてしまう。本人が公立高校を希望し、一定の基礎学力があれば入学が可能となる制度が必要ではないか。 是非、検討してもらいたいものだ。と同時に今後そうした生徒の進学に対する配慮を制度として実現できる可能性を追求していきたい。 しかし、一方で幸か不幸か、そのことによって本人が高校受験を希望すると必然的に高校進学について全国に目が向いていく。 さらに、
「ちょっと待てよ。もし私学で寮生活となると外国留学と同じくらいの費用がかかるのと違うか。Y君は、英語が好きやし、いっそのこと英語圏の国はどうや?」
「アメリカはどう?」
「ええ~、物騒やな」
「それならカナダは?」
「おれ寒いのあかんねん」
オーストラリアは、埃っぽいというし、今思うと漫才のようなやりとりの後、ニュージーランドの留学について調べることになった。NTTの「104番」で大使館の電話番号を調べ、かけることになった。
「もしもし・・・・・・」
というと、突然、電話機をガチャンと切ってしまった。
「どうしたの?」
「英語でしゃべられて、ビックリして切ってしまった」
「そら、ニュージーランドの大使館やもの。そうかもしれんわな。でも、日本にある大使館やから日本語で話したら日本語で応えてくれるんとちゃう?」
結局、ニュージーランド留学の話は、入学時期が9月になり、半年も待てないということで終わってしまった。 その後、私学の説明会が京都や大阪で開かれた。あまり気乗りしない様子ではあったが参加するなかで「俺は、こんな先生がいるところなら行きたい」と自分で選択した高校があった。それは、北海道の北星余市高等学校だった。 そして、現在、彼は高校2年生。一度、中学時代の自分をふりかえってみて手紙をくれないか、と頼んでみた。文章を書くのは嫌いといっていたが、とうとう根負けして書いてくれた。
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中学時代を振り返って 一通のFAXより
北星余市高校二年 Y.F.
苦悩の中で
僕は中学3年の1学期の終わりに学校に行けなくなった。きっかけは同学年の生徒に受けた暴力だった。それに屈した自分は弱っちくて、みじめ以外のなにものでもなかった。いじめられて学校に行けなくなる。それは自分にとって絶対的な意味を持つ学校というシステムから脱落した敗者になるということだった。そして自分が学校に行けなくなったという事実を認めることができなかった。どうしようもない苦悩の中、自分の人間性を非難しつづけ、自分の存在そのものを否定しそうになる。
学校だけが生きる場所じゃない
勉強会はそんな僕を外の世界につれ出してくれた。週2回の地域での勉強会以外に、この時期は、日中、東寺駅近くの塔南塾に週3回ほど通うようになっていた。僕は、今だからこそあちこちを歩いてみようと思うようになった。
学校では授業しているその時、僕がよく歩いた京都の町は、あいかわらず歴史をそなえいつもそこにあった。服屋さんにはステキな服が並んでいた。僕が学校にいてもいなくても人間は生活を営み、川は流れていた。学校だけが生きる場所ではない。京都の町は僕にそう教えてくれた。
人と社会の関係を結ぶ過程で自分を癒してきた。
そして、僕は探りはじめていた。何が彼に僕を殴らせたのか。何が先生たちにその場しのぎの一時的な対応をさせたのか。中学生である自分そして先生たちが存在をおくこの公立中学校というシステムはいったい何に動かされているのか。僕は自分の苦しみの原因を探りはじめていた。
人間の命を大切にしない社会があり、その社会に存在する自分を知った。自分と社会の関係を知る過程で僕は自分を癒してきた。この苦しみを生みだしたものは僕の弱さだけではないのだ。そして社会に働きかけることで自分は苦しみとたたかうことができるんだ、と。
僕は人間と社会に強くかかわってはたらきかける生き方をしたい。自分が透明な存在になりそうになったとき、僕を支えてくれた両親のように、勉強会のS先生のように…。
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Y君の手紙を読んで
短い文の中に、君が身を削るような思いを通して得たものが凝縮しているように思う。思わず涙が出そうになった。わずか高校2年生の君がどうしてこのような文が書けるのか。
物事の本質をとらえる目は、ただ年をとっていれば良いというものではないということを教えてくれる。 思春期のある時期、昨日の自分と今日の自分の思いの落差に愕然とする。自己の内面を見つめるなかで悩みが膨らみ、激しい葛藤に襲われる。そして、紆余曲折を経ながら社会関係のなかでそんな自分の存在を捉えていくことを学んでいく。そうした過程を物凄いエネルギーで君はよじ登っていったように思う。
勉強会では、今年の4月から不登校生徒のためのフリースクール(「ほっとハウス」)を開設することになった。学校に行かない、行けない子どもたちの数がますます増加する中で、その社会的背景を考えていくことはもちろん大切なことに違いないが、悩み傷ついている彼らを支えている父母を含めて支援する力が大きくなっていくことを願っている。
勉強会は、もともと学力面で「つまずき」をもっている子どもたちの力になりたいということで始まった。同じ線上にある彼らのサポートは、勉強会の基本的な取り組みであるのかもしれない。 それでは、元気で。
勉強会の卒業生が次々と講師となって戻ってくる。次回はそんな彼らの声を紹介しよう。
3.鍛えられる講師たち
勉強会活動が自分づくりの場に
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子ども勉強会には3つの活動目標がある。
第1は、子ども達の基礎学力保障し、自主性を育み自分の進路を自分で切り開いていく力をつけていく取組をすすめること。第2は、優しい、賢い子どもを育てるかしこい父母集団が地域に根をはって共同の子育てをめざすこと。第3は、将来のステキな教師をめざす若い学生講師が子ども達や父母と共に成長できる活動をすすめること。
理想高く目標をかかげているが、現実はなかなか厳しく目標の麓にも到達していないのが実態だ。小さな勉強会がかかげる目標にしては壮大すぎるのかもしれないが、父母・子どもの願いに応え、地域に根ざす教育のあり方を追求していく点は、将来の公教育のあり方を考えていくひとつの先行体験として位置づけられるのではないか。
今回は、そのような勉強会活動を支える学生(青年)講師が抱える問題や、彼らが子ども達・父母とどのように関わり成長していくのかを考えたい。
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勉強会の青年講師
ここ数年、1年ごとに見た講師の定着率は60%ほどしかなく、平均2~3年で退会していく。それはちょうど勉強会の活動を理解し始めた頃であり、勉強会としてはとても残念だ。しかし、勉強会で学んだ子どもに対する理解や父母の願いをしっかり受けとめられる教員として、学校現場でその実践においてわずかでもいかされていくことがあるならと考えてきた。現在、勉強会講師出身の教員は、19名をこえている。
しかし、近年、教員採用試験が激烈になり、それに伴なって出口の見えない競争に駆り立てられ、採用試験を断念する学生講師が増えてきた。と同時に、「どうしても教員になりたい。絶対なるんだ」という情熱をもった青年が減少してきている。それは、学校教育の抱える困難さがあまりにも深刻に映るからだろうか。それとも最近の青年の自我形成の弱さからくるのだろうか。
いずれにしても今日に就職状況を考えると学生講師の将来展望が見えにくくなってきているのは事実だ。
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自立に向かって
勉強会講師 中村大輔
将来何になりたいか、曖昧ではあったが子どもの頃からいろいろ考えてきた。具体的に考え出したのは、高校生になった頃だ。その当時、僕は学校の先生になりたかった。教えることは好きだった。しかし、キレイな気持ちで教えていたわけではなかった。
その当時僕は何かに駆り立てられていた。親や教師の期待。いい友達関係。僕の周りにあるすべてが何かを僕に期待しているように思えた。僕はそれに応えようとしていた。何をしたら良いかはわからなかったが、とりあえず人並みに勉強をしていた。周りが期待するように、そう、自分のためではなくて、その期待のために。 それなりに勉強し、それなりに教える。優越感があった。「頭のいい」連中とつきあう。そこには人並み以上だという安心感があった。教師になりたかった自分、それは安心感と優越感の延長線上にある産物だったのではないか。
勉強会の講師である今、昔と違った自分がいる。優越感や安心感のために教えているのではない。誰かのために、そして自分のために教えているのだと信じている。
大学2回生あたりから何か胸につかえるものを感じるようになってきた。歯車が合わなくなってきた。そして、だんだん息苦しくなってきた。大学の授業がではない。友人関係でもない。満足した大学生活だと思うが、何か物足りないような気がした。
中学、高校時代は、何をしたら良いかは分からなかったが、「しなければならないこと」は、今よりもたくさんあった。しかし、苦しくはなかった。今と比べたら、楽なほうだったと思う。依存している自分に慣れるとこれほど楽なものはなかった。
もう1年半もすれば卒業。将来のことことも考える機会が多くなった。大学に入って新しい興味も増えた。関心のある仕事も知った。自分のためには興味や関心のある仕事に就くのがベストなのだと思う。しかし、もう学校の先生に……とは思わなくなっていた。可能性が低い(採用試験が厳しい)というのも理由の1つではあったが…。「しなくてはならない」仕事なんてないのだ。そう思うようになった。
自由なのだ。そう思うと前に進むことができなくなった。
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自我形成に苦しむ青年
青年期には、将来に対して、それまでの無限の可能性に対して有限の現実的な選択が迫られてくる。しかも自分の意志で選択しなければならない。あることについて最後の決定を自分で行うということは、その責任は自分で負うことになる。
「友達付き合いは、こうあらねばならない。」「勉強は少なくともこれだけはしなくてはならない」等などハフ・トゥ(ねばならない)人間は、その動機が見えず、期待に沿ったものであれ何であれ、自分自身の判断と選択で行動しているわけではない。それにそのことを疑問に思わなければ、精神的に楽でいられる。 過去の自分と現在の自分、そして将来こうありたいと思う自分につながりが感じられなくなると精神的には行き詰まってしまう。これまでの自分の中に取り入れてきた様ざまなものを整理し、選びなおす過程で自分自身にしかないものとして自分像を作りあげていかねばならない。その際、中・高時代、自分を押し殺して勉強をすすめてきた_「ハフ・トゥー」人間は自分づくりで苦労することが多い。
かつて、8年間かかって何とか大学を卒業した学生講師がいた。彼もそうした自分作りに苦しんだ1人だと思う。勉強会講師としては熱心で几帳面で優しい性格は、父母や生徒、そして講師仲間からも信頼されていた。だが彼は、大学に行けなかった。数学科に所属する彼は「自分の求めているものと違う気がする」とよく言っていた。それなら「転学を含めてどこかで現実的な決断をしなければならない」という仲間の声は彼の心には全く届いていなかった。こと大学生としては無気力であった。
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子ども達に内面性を鍛えられる
さて、勉強会の青年講師も一般青年と変わらず、さまざまな弱さを持ち合わせている。そんな彼らは思春期真っ盛りの子どもたち、同世代の講師仲間、そして彼らの親の世代に相当する父母集団の中でさまざまに鍛えられていく。
思春期の子どもたちのものの見方の特徴に一面性がある。ある一面が強く印象づけられ、それ以外、目に入らないということがよくある。若い講師は、まずこの「洗礼」をさまざまな形で受ける。「先生の何が気に入らないといって、そのしゃべり方が気に入らん」「鳥の巣みたいな髪型が気に入らない」「もう親父ギャグには虫酸が走る」「髪が薄い」「服装がダサい」等など、上げればきりがなく、深刻な場合は生徒が勉強会を辞めるところまで発展していく。
また、若い講師へはいろいろな形で「こいつは俺たちのことを真剣に考えているのか」という「試し」を行ってくる。こうした中で否応なく講師は自分の性格や子どもに対する見方を深いところで捉え直していかねばならない。
子どもたちの一面的なものの見方に対して、講師は多面的に子どもたちを捉え直していくことが求められる。その時、青年講師自身が自分を持て余すような状態にあり、感情的になり、不本意ながらも子どもの人格を傷つけるような発言や態度があれば、子どもたちは容赦なくその講師が辞めるまで反抗を続けることがある。 クラス指導がうまくいかなくなると、勉強会がある日は胃が痛みだすなんてこともよくある話だ。しかし、その点、かつて勉強会の生徒だった講師は自分も同じようなことをしてきたのだから打たれ強い。すばやく子どもたちの立場に立ってものを考えることができる。
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父母達に社会性を鍛えられる
若い講師から見れば、勉強会の父母は自分の親ほどの年齢差がある。その年齢差を乗り越えて毎月父母会を開き、学習指導や子どもたちの状況を報告しなければならない。
最初の頃の父母会では、「えー、何を言われるのやろ」「無茶苦茶、緊張するわ」という声をよく耳にする。無難に授業をこなしていてもそうなのだから、まして、授業に遅刻したことなどがあれば父母会拒否症になってもおかしくはないのである。だからである。賢い父母は、そうした青年の純粋性を見つめ、目に余るようなことがあれば厳しく指摘し、頑張っている点は大いに誉める。誉められた青年講師は、もう嬉しくてますます頑張りだすのである。
父母の立場から見れば、時にはやっかいな青年講師でもあるが、子どもたちの気持ちをよく理解してくれる青年は、ともすると無口になっていく思春期の子どもたちと父母をつないでくれる掛け橋でもある。
4.父母とつくる勉強会
共同の子育てをめざして
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子育ては親育ち
子どもたちの育つ環境が劣悪になってくると、当然子どもたちにさまざまな症状があらわれてくる。そして、ある時、親の両肩にどっかりとその重荷がのしかかってくる。しかも、親自身が自分の抱える問題に正面から向き合えないでいる時など、子どものことを考えるゆとりも失ってしまう。この悪循環に陥るとなかなかそこから脱出できない。
今、子どもも親も極めてぐらぐらと揺れる足元、船底の板一枚を隔てて奈落のそこに落ち込みかねない不安を抱えて生活していることが多いのではないか。
勉強会では、子どもたちに基礎学力をつける課題を軸にして、子ども同士、父母同士に絆を強めていくこと、共に学びあうことを大切にしている。そして、長年培ってきた大人の価値観の見直しを含めて見つめ直すことが子育ての課題として重要なのではないかと考えるようになってきた。
「子どもを信じる」という言葉をよく使うが、その実体は何か。子どもの何を「正しいとして疑わない」のか。「子どもの幸せを願う」と言うが、子どもの幸せとは何か。この問いかけと子どもの実態、そして子どもへの親の関わり方が親の価値観を揺さぶっていくのだと考える。そして、簡単に答えがでないものは、待ち、抱えていくことが自然な態度であると割り切ることだ。
特に、思春期に入る頃の子どもたちはこれまで信じて疑わなかった親、友だち、先生の存在そのものを疑いにかかることがある。さらに、その眼が自分の進路、恋愛、自然、社会について漠然としたとらえ方に満足できなくて大きな不安を抱えていく。それらのどれをとっても子どもにも、もちろん親にとっても簡単に結論の出ないものばかり。ここに、子どもたちと共に学びあっていく課題が明らかになってくるのではないか。
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「学び」の作文
勉強会では、年に1回テーマを決めて子ども、父母、青年(講師)全員が一つのテーマで作文を書き、機関誌で交流している。今年で3年目を迎える。親が子どもの作文を読む。これは日常的なことと言えるが、子どもが親の作文を読む。これは子どもにとってなかなか珍しいできごとだ。「ちょっとお手並み拝見」なんて覚めたエールを送る子どももいる。しかし子どもにとっては新鮮であるらしい。ちょっぴり親父・おふくろを見直したりして、何やら心がほかほかする子どもたちの感想があったりする。
しかも、子ども同士・青年同士・親同士・親と青年・子どもと青年の学びあい(価値観の交流)も進む。
1年目のテーマは、『なんで勉強するの?』だった。学ぶ意味を考えることはなかなか難しいテーマだ。その意味を子どもたちに伝える大切さはこれまでもよく指摘されてきていた。そして、誰がどのように伝えるのか、という堅苦しい考え方があった。それではなかなか進まない。そこで、みんなでちょっとずつ考えればいいではないか、気楽に気長く取り組もうよ、という発想の転換があった。
ただ、これには「えー、親も作文を書くの?」「私は、ぜえったい書きません。もし、どうしても書かなあかんのやったら私、勉強会をやめます」なんて強烈な反発もあったが初年度、親の作品は26本、青年10本、子ども46本だった。
ある青年講師は、その作文の中で痛烈な「ユウトウセイ」批判を書いた。
『学校の勉強が嫌いなのは頭が健康な証拠です。…… だいたい高校に行けなかったらなんだというのでしょう。もう勉強は嫌だと行きたくなければ、行かなくてもどうってことはありません。
最近の学校はイジメや自殺がおおはやりですから、行かない方が無難かもしれないではありませんか。もし何かの拍子に勉強というのはつまらないものばかりだと思っていたけれど、それは学校の先生が悪かったので本当はおもしろそうなものらしいと思ったら、その時に高校に行けばいいのです。
だけど本当は勉強というのはおもしろいのです。「だから」としか考えられないところを「なのに」と考えたり、その逆を考えるのが本当の勉強なのです。例えばコペルニクスという人は、「誰もが空を星が回っている、『だから』宇宙の中心は地球ですべての星はその周りを回っている」のだとしか考えられなかったときに、「空を星が回っている『なのに』本当は太陽の周りを地球が回っている」のだと考えた人です。今では当たり前のこの考えも、当たり前ではなかったときに言うのは命がけです。ユートーセイはユーシューですから、誰も言わないことを言うなんて心細くて愚かなことはしません。そういうことをするのは落ちこぼれの役目で、科学者や発明家の中には学校で落ちこぼれだった人が少なくありません。
落ちこぼれ「だから」すばらしい発見ができて、ユートーセイ「だから」本当のことがわからないのです。そういえば「超能力」とかいうインチキにひっかかってオウム真理教になった人たちには「一流」大学生がたくさんいました。これもユートーセイだからだまされるのです。私たちは超能力を信じるような「学力」にかけているので、学校では「落ちこぼれ」いわれるのです。お母さんたちは自分の子どもが高校に行けないことを心配しますが、それと同じくらい「自分の子どもがオウム真理教にならないだろうか」と心配すべきではないでしょうか。』
この作文を読んで次のような感想が子ども(中2)から寄せられました。
『<カシコイから落ちこぼれる>を読んで正直、私はホットした。これに書いてあるとおり、「わたしバカよね、おバカさんよね」と、わずか13歳にして、人生あきらめてた私だけど“ちょっと復活!”って感じだった。これ読んで、私はユートーセイにあこがれんの、スッパリあきらめて、おバカへの道を突き進んでいこうーと思いました。誰のためでもなく自分の好きなことをやって生きていこうと、まあそう思ったわけです。』
「優秀な」と言われる点数を追い求める自分をふりかえり、学びの大切さを再認識する。一つの価値転換が子どもの中に起こってきている。ここにこの作文の取組みの大きな力を感じることができる。字数の関係で、ここには1例しか紹介できなかったが、実に多くのことを子どもたちは学んでいる。
今年度は、「遊び」と「イジメ」について2つのテーマのいずれかを選んで書くことになっている。10月の機関誌「つばさ」に青年講師、一部青年とはいえない年代も混じりながら、2つのテーマについて考えていくことになっている。
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クラス父母会について
現在、勉強会は、家庭教師の部を除いて22クラス(生徒数は平均4~5名)ある。そのすべてのクラスで父母会(8割が月1回、残りが2ヶ月に1回)が開かれている。
まず、父母会について父母の感想をみてみよう。
◆
子どもたちの様子と学習について話し合いました。親としては子どもについて話す時間があるというのは安心感があってよかった。
◆
他の保護者の意見なども聞かせていただき、参考になりました。悩んでいることも自分だけでないこともわかりホッとする部分がありました。
◆
父母も忙しい中、回数が多くなったり、長時間になると負担になるようだ。しかし、子どもの様子を先生から聞いたり、学校のことで情報を交換したり、また親同士が仲良くなっていくと子育ての悩みなど話し合え、父母会は有意義なものと思っている親が多いと思う。
父母会について肯定的といえる内容が多数をしめる。それ自体、率直に喜べばいいのかもしれない。しかし、今後の父母会のあり方を考えるといくつかの子どもをとらえる点を指摘しておきたい。
まず、第1に子どもの具体的な実態を一方的な評価をせずに語り合うことが大切です。あるお母さんは、話す前に結論が出ているみたいに「子どもが悪い」と感じさせてしまう話し方をされます。子どもへの期待が大きく子どもの否定的な部分につい目がいくのでしょう。子どもが持つ一人の人間としての大きな価値をささやかなできごとを引き合いに出して過小評価しないことです。
第2に、仮に子どもがある問題行動を起こしたとして、その子どもの成長にとって何が必要なのかを父母自身がそれぞれに考え合うことが必要です。そして簡単に結論が出ないことは、継続的に審議にして気長く話し合いを続けていきましょう。
第3に、子どもを自己愛の対象としてとらえないこと。子どもは親の思い通りにならないもの。親とは異なる存在だからこそかけがえのないものとして考えていくことが大切なのではないでしょうか。
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学習交流会 子どもにしっかり学習させると同時に親も学ぶ。これが勉強会の良さだ。
年に1回、忙しい生活の中で1日使っての学習会は、学ぶことを職業としている集団でもなかなか大変だが、今年で10年目を迎える。毎年、70~100名の父母が参加している。午前中は、記念講演で午後から4つの分科会を開いている。
今年は、11月21日(日)、午前10時から開催する。記念講演は、府立大学の築山先生をむかえ、午後から①中学生の進路問題②基礎学力をつける取り組み③家庭の中の性教育④フリースクールの取り組みと不登校問題の分科会を開く。勉強会全体の父母の交流を兼ねた取り組みをさらに充実したものにしていき学びの輪をさらに広げていきたい。
5.子どもたちの豊かな人間関係をめざして
子どもたちを生活の主人公に
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子どもたちの成長のアンバランスが生みだすもの
勉強会の生徒数は多いときで170名いた。それから減少傾向が続き現在は120名ほどになっている。しかし、今年で19年目を迎え、卒業生の数は500名を超え、実に多くの子どもたちと関わってきたといえる。
それは80年代前半、中学校での校内暴力が吹き荒れた時代から、低学力、家庭内暴力、いじめ、不登校……等々のキーワードに示される子どもたちの成長と発達の課題をめぐって父母とともに考えてきた歴史でもあった。
昨年の11月、勉強会の父母・講師交流学習会で築山先生(府立大)のお話を拝聴した。演題は「子どもたちの豊かな人間関係をめざして」であった。このテーマを選んだのは子どもたちの希薄で脆い人間関係が気になるからだ。
築山先生によると子どもたちの脆さの現れは、友達や同世代への気遣いから、ありのままの自分の開きにくさに見られるという。自分のそのままの姿で接することができず、周囲の人間関係を壊さないようにするために神経をすり減らしている。それは自分自身に自信がもてないことから起こっているという。そうした現象は小中学生の構造的な特徴だと述べられた。
確かにそうした捉え方ができると思う。しかし、子どもたちがありのままの姿で接することができないのは、子どもたち相互の内面世界の成長のアンバランスが大きいからではないかと考えている。これも全ての場合に当てはまるわけではないが、次の作文に見られるように、Aさんの感性は、その友人の中では異質な存在として映り、受け入れにくい存在であったのかもしれない。思春期の子どもたちの精神的な成長のアンバランスは当然起こりうる現象ではあるが、それが大きすぎると不安感や孤独感を強くしていくのではないか。
私は友情というものはとても難しいものだと思う。だからはっきりとは分からない。でもとても大事なものだと思う。人によってちょっとした事で壊れてしまう人もいる。その時は友情だと思っていても壊れるくらいなら友情とは言えないと思う。実際どうでも良いようなことでケンカをしている人がいる。私も小学校の時、ケンカをして3人中で2対1になった。相手に怒っている理由を聞いても、自分で考えてと言っていたし、怒らせる事をした心当たりもなかった。結局こちらが謝っていた。無理矢理に話を合わせたりしていた。そんな事を毎日していたら、学校が嫌いになっていた。人に無理矢理話を合わせる事はないし、怒らせた理由もはっきりしないのに謝る必要もなかった。それはその時から分かっていた。分かっていたのに話を合わせたりしていたのは、1人になるのが嫌だったからだろう。
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子どもたちのありのままを受け入れる勉強会
勉強会は、一つの地域に根ざすことを目標としながらも同時に広範囲に点在する集合体でもある。現在、勉強会が存在する行政区で見ると北区、西京区、南区、東山区、伏見区、八幡市と広がりをもっている。そして、1クラスが単独で存在する個人勉強会と3クラス以上あって独自の会場ももつ地域勉強会がある。クラスは基本的には同学年数名の生徒で構成されている。ここに青年から若干年をくった講師が配置される。
少人数制のクラスは、子どもたちのある一定の学習要求で勉強がすすめられたとき、生き生きとしたクラスが誕生する。しかし、一方で子どもたちがため込んでいるストレスの発散の場にもなりやすい。「先生、聞いてえ。あのな、私、今日、無茶苦茶腹が立ってるねん。勉強する気分ちゃうねん」
まわりへの気遣いに疲れ、内向する子どもがいる一方で、その場の状況を一切考えないで何の遠慮もなく自分の言いたいことだけを吐き捨てるようにしゃべりまくる自己中心的な子どもたちが混在している。ただ自己中心的にしゃべっている子が相手のことがまったく見えていないのかと言えばそうではない。湧き出してくる感情を抑えることができないだけなのだ。ここに問題の複雑さがあるように思う。
言いたいことを言われっぱなしになっている方が嫌な気持ちになると同時に相手の表情を読み取っているその子自身が傷ついていることがある。だから、ときには勉強会を中断してクラスのみんなの憤懣やるかたない思いを出し合ったりすることもある。頭ごなしに押さえ込んでしまうことはしない。この子どもたちのアンバランスは、子どもたちが互いへの理解を深めていく中での互いの不足分を補っていくと考えるからだ。
また、少人数クラスの人間関係はある傾向に固定化されやすく広がりのある関係を学びにくくする。そうした弱点を補うために勉強会では、子どもたちの地域・学年を超えた人間関係づくりをめざしている。
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18年続けている中3合宿
ことの起こりは学習意欲に乏しく覇気のない子ども。楽しいことばかり追い求め背伸びばかりする子どもを受け入れる中で、真面目な子も含めて一度徹底して勉強をやらせようということを決めた。19年前、勉強会が生まれて半年たったある夏休みのこと。
合宿って言えば何か泊まって夜まで友達と遊んで、おやつを食べてって感じが強かった。
T先生が「1日10時間」とか何とか言って驚かしたりしたけれど私は合宿というものにあこがれていました。なのに……。
なんで!いきなり初日から勉強。その次の日も。これぞまさに勉強地獄!でもはっきりいって楽しかった。
授業中も、けっこう先生とか一生懸命になって教えてくれるから「さぼろう」なんて気が起こらなくなってくる。それに分からなかったら親切に教えてくれるし、みんなに五重丸あげたい。本当にありがとうございました。来年、来来年と受験に苦しむ中3の子に勉強地獄を教えてあげてください。
当初は、子どもたちの関係づくりというよりは、4泊5日、5泊6日といった長期の合宿で一教科を学力別のクラスで徹底的に勉強させる合宿だった。その学んだ教科に自信をつけ、子どもたちは与えられたもののなかで適当に友達をつくって楽しんでいた。
そのような合宿が10年近く続くが、次第に初めて会う子ども同士の間で違和感が強くなり、子どもたちが生き生きしなくなってきた。つまらないことで喧嘩や対立が起こってきた。このあたりから、合宿の取り組み内容の見直しが始まった。
各勉強会のクラスを1つの班として位置づけ、レク・学習・清掃・生活・健康・進路などの各係を決め、リーダー会議で内容を話し合い自分たちで作る合宿へと改善していった。また食事もこれまでの食堂のあるところから自炊のできる合宿場へと移っていった。この改善をすすめるなかでリーダー会議は事前に子どもたちの交流を生み、各係の活動は合宿に参加する子どもたちの自覚を深めていった。
また進路についての学習も子どもたち自身の作成によるアンケートのまとめを資料として討論がすすめられた。ある合宿では、進路についてのディベートが子どもたちに大きな刺激を与えた。
テーマ;高校進学は「必要」「不必要」
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ディベートでは、みんなのしっかりした意見にびっくりした。いろんな人が意見を言えてよかった。春合宿ではあまり形になっていなかった討論会がしっかりした形になったと思う。自分の考えを改めて考えてみたい。
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討論会では、私は不必要派の方だったけど、高校に行きたいのに反対のことを考えるのは大変だった。でもやっているうちに別に高校に行かんでもいいか、と思った。
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討論会は何かけんかしてるみたいで楽しかった。意見がいっぱい出てたし、自分の言いたいこといっぱい言えてよかった。
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何かみんなが高校について討論しているのを見て感心した。最初に進学は必要ということで発表されているときはついていけたのですが、」進学は不必要というとこではみんなのすごさについていけなかった。
合宿での生活全般を子どもたち自身がつくっていくなかで、肩の力が抜け、元々持っている素朴な子どもらしさがよみがえってくるように感じた。子どもたちの人間関係の交流も深まり、各地域に戻ってからも文通が生まれたりする(そして付録として、大学生になれば勉強会の講師として戻ってくる)。このような関係づくりを丁寧にすすめることが今の子どもたちにとって何より大切なのではないだろうか。子どもたちが合宿という非日常の空間ではあっても各自が必要な役割を担い生活の主人公となった時に、さらには自分の人生の目的を自覚した時、些細なことが些細な問題として処理され、自分の周りの人間に優しくなれるのではないか。そのような活動を目標として子どもたちの中に創り出していきたい。
勉強会では、数面前からこのような取り組みを中3を対象とするだけではなく、小学生から始めている。
6.とことんつきあうで
学力をつける意味を問い続けて
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公立高校をめざして
勉強会での学習指導の出発点は、高校への進路保障という位置付けで始まった。中3の2学期終了後、三者面談で「このままやったら、高校に行けへんで」という担任の言葉に驚いた父母の声から勉強会が誕生したからだ。しかも勉強会の多くの子どもたちの願い(=父母の?)は公立高校に入ること。とすると京都市では、公立高校の入学定員が55%ほどしかないので「杭の周りをアヒルさんが泳ぐ」(通知表で1と2が並ぶ)成績では絶望的だ。
というわけで、勉強会では、基礎学力をつける指導は、勢い「オール3」以上をめざす取り組みになってしまう。少人数クラスで「分かるまで教える」「できるまでつきあう」ことが重視され、「先生もうじき試験やから補習してな」「今度徹底勉強しよな」といった子どもたちの言葉を自然に引き出すことが講師の力量として評価された。実際、親の許可をとって徹夜で試験勉強したこともあった。頑張って勉強したにもかかわらず、試験中に居眠りをしてしまい、いつもより悪い点数を取ってしまうといった笑うに笑えないような話もあった。
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A子の場合
お母さんと一緒にやってきた中学3年のA子。身長はおそらく165㌢以上あり、女の子の中では大柄で大きな声は同学年の生徒を圧倒させる雰囲気があった。その時、勉強会のクラスには女子ばかり五名いた。誰も彼女のことを快く思っていなかった。
「先生、A子、入ってくるの?頼むし入れんといてな」
これまで学校の授業中に騒ぐ、喧嘩はする、規定の服装は守らない、といった状況を見ている比較的おとなしい生徒たちにとっては、彼女の存在そのものが脅威に感じられたようだ。
「そうやな。確かにこれまでの勉強会の雰囲気が壊れるのは嫌やな。そのことはよう分かるわ。でも一人でやってきたということは、違った意味でA子もしんどさを抱えてると思うで。今になって何で頭下げて入りたいといっているのか、一度A子の気持ちを聞いてみよ。ええか」
そしてA子と話し合いの場を持った。
「うち、今まで悪いことばかりしてきたけど、高校に行きたいねん。このままではどこの高校にも行けへんて担任に言われてん。高校に入るために頑張るわ」
3年の1学期、通知表。9教科の合計点数は17だった。オール2もなかった。これでは確かに彼女の希望する高校には入れない。かなり追いつめられてやってきたのだった。
快く思っていなかったクラスの生徒たちも、A子の真剣な態度や彼女の置かれている状況をそれぞれ自分の立場に置き換えて考えると、どこか似たようなものが見えてきた。手のひらを返すように歓迎するわけではなかったが、A子との共同の学習が始まった。
1・2年の学力がついていないため、なかなか理解が進まず、授業中「わからへん!」と大声で叫ぶこともしばしばあった。数学の授業では新しい単元に入る前、形成テストを行い理解が進みやすいように準備を行なった。学校の定期試験前には全科目みんなで予想問題を作成し、親の許可を得て深夜にわたる学習にも熱がこもった。もし、A子が来ていなかったら、これほど熱心に他の生徒も頑張らなかったことと思われる。そして、2学期の成績は、オール3に上がり、A子が当初希望していた商業高校に入学できた。
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「教え方はVery Goodでした」-B子の感想
A子と一緒に勉強してきたB子も、勉強会の「とことんつきあう」姿勢について、次のような感想を寄せている。 「嫌がっていたのに、しつこくやったのが良かったんじゃないかと思う。絶対S高校に行きたかったから、行けてとっても嬉しい。入試勉強している時は、なんかすごく嫌だったけど、今になって考えてみると先生のしつこさが良かったんじゃないかと思う。
やっぱしパーティーが最高に楽しかったと思う。先生に色々おごってもらったこともあったね。ありがとさん。それと合宿は虫がいたのが嫌だったけど、いっぱい思い出ができました。
はっきり言って、『うっとしい』と思ったこともありました。でも、今は良い先生だなぁと思う。勉強の教え方は、Very Goodでした。でも、本当に勉強会に来てどあほの私がちょっとましになって、高校に受かったからとっても感謝です。」
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学習指導の出発点と課題
子どもたちの学習意欲が育まれ、成績が上がっていく背景には、
①講師に夜の教科の系統性を踏まえた指導、子どもたちの学習要求を試験前などに引き出しながら長時間労働を苦にしない講師の楽観性が挙げられる。また、教えて『分かった』という生徒の実感を大切にし『できる』までしつこく追及すること。そのことを求めることによって子どもたちが学習に向かっていく自信をつけていくことになり、さらなる学習意欲となって跳ね返ってくると考えられる。
②子ども集団の中の異質な存在との葛藤を乗り越えて信頼関係が築かれていくこと。そうした子ども同士、講師との信頼関係は共通の目標に向かって大きな知恵と力を生み出していく。
③「高校に合格したい」という強い動機がある。
この中3の学習指導のあり方が勉強会の学習指導の出発点となり、基本モデル的存在となった。子どもたちとの信頼関係づくりと熱心な指導で、多くの子どもたちが学力(成績)を伸ばしてきた。
しかし、その後こうした指導のあり方についていくつかの疑問や発展させなければならない課題が意識されるようになってきた。
①いくら熱心に系統的に指導しても、あるいは反復練習させても学力の定着しない子どもたちが、「腕白でやんちゃ」な子どもたちの数が減っていくのと逆に増えてきたこと。こうした子どもたちの特徴としては、学習をまるで他人事のように捉え、生活実感が希薄で何事にも消極的で物事を真面目に考えない傾向を持っていることにあった。自分の存在が希薄であるということは、当然、周りの人間に対しても優しくなれず、自己中心的な態度を示す。
②高校進学のための学習指導が強く意識され、中3以外の学年の指導が軽視される傾向があったこと。学習指導の意義が高校進学のための手段に一元化される傾向が生まれてきたこと。学ぶ意味の捉え直しが求められてきたこと。
③ある一定の学力のある子どもにとって、その指導が丁寧すぎること。自分で考えて学習を進められないこの場合、勉強会での基本テキスト以外に様々なプリントを用意することになる。しかし、そのことが一定の力のある子にとっては依存的な学習態度を作り出してしまう。そうした子どもたちにはもっと自分で工夫しながら学習をすすめる指導が必要だった。
今、勉強会ではこうした問題意識を持って取り組みをすすめている。
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子どもたちの学習意識調査より
成績上位・中位・下位グループで子どもたちの学習態度と成績の関係について、中学生間で成績格差が生まれるのは、学校での授業態度、試験一週間前の学習時間、自分なりの勉強法の工夫、宿題への取り組み姿勢に違いが見られる。特に試験前の学習時間は、毎日数時間の差が生まれている。残念ながら勉強会の生徒には、日常にこつこつ毎日勉強する生徒はほとんどいなかった。中学のテスト勉強という意味ではそれで足りるのかもしれない。ただ、高校に入ってから困る生徒が多くいるようだ。
また、成績下位グループの生徒たちに「能力は生まれつきだ」「俺(私)の人生はどうせ先が見えている」とか自分への自信のなさや諦め傾向が強く表れている。学力(成績)が指定された場所に固定されている感じを持っている。学力が人格形成に大きな暗い影を落としているように見える。まるで成績が子どもたちの人間としての全体の値打ちを評価する基準になり、子どもたち一人ひとりの可能性を押し潰すかのようにも見える。
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教科指導の消極論を克服して…
そして、学習指導に熱心になるということは、今よりちょっとでも成績を上げることに熱中することでもあり、成績順に階層序列化された今の受験体制を肯定し、強めることになるのではないかという意識が生まれてくると、子どもたちがよく言う「今、習っている二次関数がなんの役に立つの?」「連立方程式なんて生活に必要?」という言葉とうまく結びついて教科指導に消極論が生まれてくる。今子どもたちの未来を考えるとき、子どもたちの問題意識と結びついたテーマでの学習を強めることが重要だ。環境問題、エイズ問題、平和の問題等など……。勉強会のフリースクール(「ほっと ハウス」)にも若者がボランティアとして多数参加してくれている。こうした青年の健全なエネルギーを学習と結びつけることが大切だという意見は、当然尊重されるべきだと思う。
ただ、そのことが教科の指導と対立的な構図にならないように配慮することが求められるのではないか。否、もっと積極的に各教科の中で総合的なテーマを取り入れ各教科間での連携が求められているように思う。総合学習は、むしろそうした教科間のとりまとめ役的な存在として位置づけられることが大切であるように思う。
7.LD児のサポートをめざして
「どの子も基礎学力をつける」を実現するために
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クラスのお客さん
「どの子にも基礎学力をつけよう!」これがなかなか大変難しい目標なのだ。もちろん勉強会の目標というだけではなく、良心的な教師すべての願いでもある。
学習面で『つまずき』を抱えている子どもに対しては、本人にある程度の意欲があれば、丁寧な指導=①ある単元を学習するにあたって形成テストを実施し、つまずいたところを明らかにする②教科の系統性を大切にしながら到達目標を設定し指導を進める。そして家庭学習の指導を通して、かなり多くの生徒に学力を付けることができる。
また生活面で問題を抱え、学習から逃避傾向にある子ども達に対しては、そうした生徒だけを対象にしているわけではないが、勉強会ではクラス行事、全体合宿、キャンプなどを通して生徒と講師の信頼関係作りに力を入れている。子どもの『やる気』は講師(教師)への信頼感が出発点になると考えるからだ。もともとどの子も『分かるようになりたい』という願いを持っている。そうした子ども達の本質的な要求に根ざし、子ども達との信頼関係を築きながら、熱心で系統的な学習指導によって自信をつけさせていく。
さらに勉強会では、各クラスごとの父母会、講師会、父母・講師合同学習交流会、学びの作文の取組など親と共に学びあう活動を熱心にすすめている。もちろんテーマは、子どもへも理解を深め、自立を親の立場から援助することだ。ときには、子どもの足を引っ張るなんてことも起こるが・・・・。すべて当初の目標に近づきたいという純粋な想いから始まっている。それこそ寝食を忘れて子ども達の笑顔を支えにこの二十年間、多くの勉強会講師、父母集団ががんばって築きあげてきた無形の貴重な財産といえる。
にも関わらず、毎年『伸び悩む』子どもが一定数生まれている。その数はそれほど多くはないが、通知表の「1」「2」からなかなか伸びないのだ。九九や漢字、英単語をいくら練習しても、なかなか覚えられない子どもたち…。文章の意味理解が、数年さかのぼらなければ理解できないなど。
勉強会の講師会で、ある講師がそうした子どもたちのことを指して「クラスのお客さん」という言葉を使った。これはその講師の造語でもなければ、悪気があってのことでもないが、その語感には子ども達への指導を投げ出しているだけでなく、ある種の冷ややかな響きをもっている。子どもへの冷めた思いにショックを受けた。しかし、教える側のその姿勢を問題にするだけでなく、事実上変化を作り出せていない現実を直視し、そうした子どもたちの学力をつけていく見通しをもたなければ何も解決しない。どうすればいいのか。20年来ずっと心の奥深いところにとげが刺さったまま、なかなか抜けない状態が続いていた。その状態から抜け出すのに何が必要なのか。
あるとき、勉強会のお父さんから一通の手紙が届いた。
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お父さんからの手紙
小学校1年生のとき、「友だちの本を破った」「ブロックを投げた」と担任の先生から電話がありました。どうして、そんなことをするのか?いままでになかった行動でした。
児童相談所に行き、検査をしたところ「LD児です」と言われました。三歳のとき、「多動です」と言われたことや、何でもないところでよく転んだり、言葉も遅かったりと心配だったので、病院に行きCT、脳波などの検査をしてもらったことがありました。そのときは「少しみんなより遅れたところがありますが、それなりに発達しています。」と言われました。
学校から帰ってきて何かを話したいのですが、「お母さん、あんな……、お母さんあんな……」と、それから先は話がでてきません。聞き返すと「もういい、忘れた」と黙ってしまいます。それによって、友達とのトラブルが起こったり、また「小学校低学年の間は勉強も分かるが、高学年になるとしんどいでしょう」と言われたこともありました。
その当時は落ち着きがなく、じっとしているのが苦手で、気が散りやすく、集中力がない。話しても相手の顔をみないで、すぐに視線を散らし、きょろきょろしている。耳からの情報がなかなか入らず、目からの情報しか入らない。いくら言っても同じことの繰り返し、宿題するのも集中力がないため時間がかかりました。本読みも「わからない」「できない」と一行読ますのも時間がかかり、たいへんでした。また、体に触れられるのが嫌いで、抱いたら暴れ大泣きしていました。きっと本人には縄でぐるぐる巻きにされたときと同じくらい苦しくて、怖かったんだと思います。運動も苦手で一緒にしようと言ってもすぐにしんどいと言ってやめてしまいます。
以上の様子からLD(学習障害)と呼ばれますが、私は学習障害児と言いたくないのです。学習が苦手な子と言いたいです。
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勉強会としてのLD問題
手紙はA君のようにADHD(注意欠陥・多動性障害)を伴う場合、問題が比較的早くに明らかになれば良いが、そうでない場合は、適切な指導が受けられずに、熱心に教えても「勉強のできない子」と云うレッテルを貼られてきたのではないか。勉強会では、少人数で丁寧な学習指導をしているにも関わらず、なかなか学力が伸びないこどもたちのことがずっと気になっていた。この子どもたちの問題は思春期の心の問題もあるが、他方、LDの問題とも深く関わっているのではないかと、A君のお父さんの手紙を読み進めるうちに感じ始めていた。お父さんからの手紙は、子どもの発達の可能性を諦めずに追求する姿勢を教えてくれると共に、LD問題に真剣に取り組む必要性を切実に訴えていた。
その後、勉強会として滋賀大学の窪島先生、タンポポ(LD児の親の会)顧問の先生、中央病院の尾崎先生をお招きして、LD問題の概要、LD児の算数の指導の進め方、LD児の診断の具体的な内容についての学習会を開いてきた。
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LD問題が投げかけるもの
LD(learning disability)は全般的な発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推理するなどの特定の能力に遅れを示し、認知能力の部分的な遅れや偏りを特徴としている(文部省)。またLDは、学力の困難性(読みは漢字障害、書くでは書字障害、算数障害)話し言葉の学習困難(聞くでは聞いて理解する受容性言語障害、話すでは表出性言語障害)のタイプがある。
そのようなLDのことが最初に問題になったのは、1960年代アメリカのことだ。アメリカの親達が、「真面目に学習していても学力のつかない子ども達の進級・卒業を保障しろ」という要請運動が進められる中でのことであった。それは大きな社会問題となると同時に、LDについての研究も深められていった。
日本ではどうだろうか。勉強ができてもできなくても進級させる、卒業させるという教育制度のもとでは、LD問題に対して大きな関心が父母や先生の中におきにくい状況があると言われている。極端にいえば、日本の教育制度のもとでは、受験競争以外では、LD児の学力ばかりでなく学力問題そのものが存在しにくいということが言えるのかもしれない。日本でLDが問題にされてきたのは、授業を妨害する、乱暴する、そわそわ落ち着きがないなどの症状が出る注意欠陥・多動性障害(ADHD)が疑われる時くらいのものだったのではないか。
それも個人的に子どもの資質や親のしつけの悪さといったようなことが問題視されてきた。
また、アメリカでは学齢児童の約5パーセントがLD児であると言われている。この子どもたちの数の割合を日本の子どもたちに単純にあてはめることはできないかも知れないが、もしそれに近い割合でLDの子どもたちがいるなら、かなりの数が推定される。
この子ども達には、認知領域のどこに弱さ、偏りがあるのか、その傾向を明らかにして、子ども達一人一人に会った個別教育プログラムを作成し、指導することが求められる。さらに、それを現状の40人学級制度のもとで丁寧に指導していくには無理があろう。一方、評価は、相対評価による点数である。実際、そうやってLD児はその傷害への配慮もなく評価されてきている。こうした現状は、子どもたちの学習権を侵害していると言えるのではないだろうか。
LD児は、全般的な知的水準が低くないがゆえに、傷つきやすい心をもって生活していることを忘れてはならないと思う。 いま、「どの子にも基礎学力を保証する」視点からLD問題を捉え直していくことが求められているのではないか。
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LD児のサポートを目指して
家庭での洗濯が間に合わなくて白い靴下を履いていかなかった子どもを叱りとばした教師に象徴される今の学校の姿。親の感覚の中で学校への信頼が薄れつつあるように思う。学校は個性的な子どもが学びにくい場所になってきている。特にLDの子どもたちはその学びの個性が強いため、学校生活の中で挫折感や劣等感を強く抱かされている。
勉強会ではLDの診断を受けている生徒にA君がいる。彼は、優しくある意味では厳しい講師と、クラスの父母集団に見守られ、少しずつ学習面でも自信をつけてきている。特に英語、数学では力をつけてきた。
勉強会としては、今後、
①医療機関、LD問題を研究している団体・個人、LD児親の会と連携を取りながらLD児の指導の実践的課題を研究していく、
②LDの診断は医療機関に任せるとして、子どもたちの認知領域の偏りや弱点を評価する簡易な検査が実施できるように研究し、幅広い子どもたちの指導に活用していく、
③LD児の能力や適正をいかせるような指導体制を整え、居場所づくりをすすめていく。
みなさんのご協力を今後ともよろしくお願いします。
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