歴史・規約
★1980年、京都市南区民商婦人部の班の集いがありました。

『うちの子、どこの高校にも行けへんて先生に言われてん』
『先生がそんなこと言うのは、おかしいわ。職務怠慢や。』
『でも、先生に文句言ってもはじまらないし…。』
『でも、どうしたらいい?』
『商売が忙しくて子どもの放課後の生活が心配やわ。どうしよ?』
などなど、まあ、とにかく子どもの話になると、どこでも延々と心配の種はつきません。
そして、そこで出された深刻な悩みについては、
京私教(冬至、京都私学教職員組合連合)が開設していた「教育110番」
に寄せられました。当時、副委員長であったM氏が相談の窓口となり、
私立高校の非常勤講師S氏と共にお母さんの集まりの中に入り、子ども
たちの学力問題や生活課題について話し合いを深めていきました。
『学力をつけるのは、学校の仕事と、ちがうの?学校の先生に要求すればいい。』
『でも先生がサボっていて子どもに学力がつかないとは思えないし…。』
『サボっているかどうかなんて誰が分かるの?』
『大体40人もの生徒を一人の先生で教えることに無理があるのよ。
みんなが理解して身につけさせるなんてできないよ』
『なら、どうすればいいのよ?』
『だから、こうして集まって相談してるんじゃない。』
熱い話し合いが何回か続けられる中で、次のようなことが確認されました。
*子どもの学力問題は、基本的には公教育の問題であり、正当な要求を出し続ける。
しかし、年々、つまずきが積みあがっていく子の課題をとめることはできないので、
学校以外に子どもの学力をつける取組を進める。具体的には、地域の父母との
つながりを大切にし、父母運営の「塾」を作る。
*1クラス4~5名少人数制を実施する。毎月父母会を開き、クラス状況や家庭での
子どもの様子を交流し、父母も学び合っていく。
当時、「塾なんて必要がない」と考えていた人が多い中で新しい一歩が踏み出されました。
学年がばらばらの中学生八人で父母運営の塔南塾(子供たちが命名)が結成されたのです。
『みんなで子育てをしよう!』
『生き生きした子どもの声が聞こえる地域にしよう』をスローガンにして、
塔南塾の父母と講師が中心となって映画会・教育懇談会・子どもまつりなどに
取り組んできました。
また、『どの子にも基礎学力をつけよう!』を目標に毎週二回
二時間の英数の補習授業が始まりました。
★1981年、南区民商婦人部のお母さんたちが、父母運営の塔南塾を設立
★1985年、塔南塾をモデルにして、10数ヶ所の勉強会が各地域に設立される
これが「京都子ども勉強会」として総合され、現在に至ります
★1999年、フリースクール「ほっとハウス」を設立
★2001年、フリースクール「ほっとハウス」を分離、独立
★2003年、土曜クラスを開設
サポートクラスを開設


『うちの子、どこの高校にも行けへんて先生に言われてん』
『先生がそんなこと言うのは、おかしいわ。職務怠慢や。』
『でも、先生に文句言ってもはじまらないし…。』
『でも、どうしたらいい?』
『商売が忙しくて子どもの放課後の生活が心配やわ。どうしよ?』
などなど、まあ、とにかく子どもの話になると、どこでも延々と心配の種はつきません。
そして、そこで出された深刻な悩みについては、
京私教(冬至、京都私学教職員組合連合)が開設していた「教育110番」
に寄せられました。当時、副委員長であったM氏が相談の窓口となり、
私立高校の非常勤講師S氏と共にお母さんの集まりの中に入り、子ども
たちの学力問題や生活課題について話し合いを深めていきました。
『学力をつけるのは、学校の仕事と、ちがうの?学校の先生に要求すればいい。』
『でも先生がサボっていて子どもに学力がつかないとは思えないし…。』
『サボっているかどうかなんて誰が分かるの?』
『大体40人もの生徒を一人の先生で教えることに無理があるのよ。
みんなが理解して身につけさせるなんてできないよ』
『なら、どうすればいいのよ?』
『だから、こうして集まって相談してるんじゃない。』
熱い話し合いが何回か続けられる中で、次のようなことが確認されました。
*子どもの学力問題は、基本的には公教育の問題であり、正当な要求を出し続ける。
しかし、年々、つまずきが積みあがっていく子の課題をとめることはできないので、
学校以外に子どもの学力をつける取組を進める。具体的には、地域の父母との
つながりを大切にし、父母運営の「塾」を作る。
*1クラス4~5名少人数制を実施する。毎月父母会を開き、クラス状況や家庭での
子どもの様子を交流し、父母も学び合っていく。
当時、「塾なんて必要がない」と考えていた人が多い中で新しい一歩が踏み出されました。
学年がばらばらの中学生八人で父母運営の塔南塾(子供たちが命名)が結成されたのです。
『みんなで子育てをしよう!』
『生き生きした子どもの声が聞こえる地域にしよう』をスローガンにして、
塔南塾の父母と講師が中心となって映画会・教育懇談会・子どもまつりなどに
取り組んできました。
また、『どの子にも基礎学力をつけよう!』を目標に毎週二回
二時間の英数の補習授業が始まりました。
★1981年、南区民商婦人部のお母さんたちが、父母運営の塔南塾を設立
★1985年、塔南塾をモデルにして、10数ヶ所の勉強会が各地域に設立される
これが「京都子ども勉強会」として総合され、現在に至ります
★1999年、フリースクール「ほっとハウス」を設立
★2001年、フリースクール「ほっとハウス」を分離、独立
★2003年、土曜クラスを開設
サポートクラスを開設